5月24日(日)

たくさん走った翌日はお休み。
これ、鉄則。

僕らに必要なのは練習ではなく練習に対するロゴ。
(トレーニングロゴが圧倒的に欠けている)

どれだけ練習で走ったかではなく、どんな練習を積み重ねてきたか。
(走るだけなら小学生以下でもできる)

「僕はこうだ」があるかもしれないけど、そこに走れるようになるための要素や経験、確固たる自信がなければ練習をしているだけと何ら変わりはない。
(よくわからないけど…ならわかっていないということ)

うまく走れなかったら強度や量を減らすのかもしれないけど、うまく走れなかったということは自分の能力を正確に把握できていないということだし、減らすことが良いことだとしてもその強度や量に決定した根拠の基を修正しなければ同じことをまた繰り返すわけだし、減らしてまたそのレベルに到達するまでの時間を考えたら強度や量をもっと適切な分だけ上げていくべきだったのではにのかな、と。

「一段ずつ丁寧に」とは言いながら、その一段が高かったら二段ずつ上がるのと変わりはないんじゃないか。

成長を感じたから練習の強度や量を上げたのにその度合いが分かっていないなら自分の能力も自分の成長も正確に把握できていないということだから、もっと同じ強度や量で練習を続けておくべきだよね、と。

その方法はいくつもあるけど、近道なんか決してありはしない。
あるのは「そこまで遠回りをしなくても」なだけであって近道とは言い難い。

「誰でも簡単に」とか「1日の練習に〇〇を取り入れるだけで」とは言われているけど、そんな簡単にできるものがあるんだったら初めからみんなも実践していると思うよ。

一日一歩、三日で三歩。三歩進んで二歩下がる。

中には五歩分の価値があるという人もいるけど、それは怪我をしていなかったらの話であって次に活かせるならそれでも良いかもしれない。でも怪我をして後退してしまうのなら、初めから丁寧に三日で一歩のペースを貫き通すべきだよね。

▼ 練習内容
休養日

走らなかったからといって焦りはない。
「こんなに時間があるのに」とは思わないから「こんなに時間があるから何をしようか」と考えてケアでも散歩でも時間を使おうと考えられる。

この休養日だって大事な練習の一環。

▼ 今日のコンディション
体重 : 64.95 kg
距離 : 0 km
合計 : 172.5 km

▼ 過去の今日